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カバーが現すもの。講談社現代新書の変化。

 「講談社現代新書」という新書シリーズがあります。私はもうこの手の新書はずいぶん長いこと買ってませんが、数年前にカバーを刷新したそうです。ある2ちゃんねる系まとめブログの記事にてそのカバーについて触れたコメントがあって、引っかかりました。消えると面倒なので、引用してみましょう。

-------------------------------------------引用開始

38 名無しさん@涙目です。(WiMAX) :2011/10/16(日) 08:44:39.23 ID:ZSD6e9cO0
講談社現代新書のカバーを以前みたいにイラストにして欲しい
今みたいな簡素すぎる表紙は、本を買う楽しみ、読む楽しみが薄れてもうすっかり買う気無くしたわ
責任者は首を俺のところにクール便で差し出すように

96 名無しさん@涙目です。(春日山城) :2011/10/16(日) 09:05:50.14 ID:Gx7hMci70
>>38
http://www.bookclub.kodansha.co.jp/books/hon/0411/nakajima.html

100 名無しさん@涙目です。(WiMAX) :2011/10/16(日) 09:08:27.76 ID:ZSD6e9cO0
>>96
おk 中島英樹の首を狩る旅にでかけてくる

137 名無しさん@涙目です。(金沢城) :2011/10/16(日) 09:21:54.59 ID:yBW29qch0
>>96
中島英樹って人か、
変化を求めるのは、例え保守的な客層相手でも自由にやって良いと思う、
だけれどこれは長期的に致命的だと思うわ。
 ・愛着が全くわかない
 ・表紙を見て好奇心がわかない、新規客がつかない
で、すぐ売りたくなるし。

掃除のときには古いクーポン情報誌と同じく、真っ先に処分する対象になる。
イラストは魅力の+-が大きいけど、これじゃ0ではなく-固定だよ。

イラスト経費削減だとハッキリ言えば良いのに(´・ω・`)

-------------------------------------------引用終わり

 ジョークまじりですが、最初のひとマジに怒ってる。
 本が好きなら、カバーの善し悪しで本の所有欲がいかに左右されるかもわかります。あとで処分するような本にしろ、呼んでる途中で伏せたり、栞挟んで閉じたときに見える表紙が読書中の楽しみでもあります(まあ文庫本とか紙カバーかけたまま読むときは別ですが、当然表紙は既に見てるしめくれば見えますから)。

 そんなわけで一体どのような表紙になったのか、中島英樹とやらはどんな仕事をしたのかと検索してみたら……。

 「404 Blog Not Found」というブログの2008年の記事です。旧デザインと新デザインの本の写真があります。
 『誰が講談社現代新書を殺したか』

 ……ああ、こりゃひどい。全く目につかないわけだ。しかも二三年ほどで背表紙が真っ白になって文字が読めないとか、なんですかそりゃ。別にモダーンとかキュービズムみたいな表紙とかでもいいんですが、内容の見分けの付かない背表紙はないわー。紙カバーかけたままの本と同じだけど、簡単に外して元が見えるわけじゃないからなぁ。所有欲とか以前の問題。

 中島デザイナーの言葉によれば本来の本の表紙は下にあって、あくまであのカバーは紙カバーと同じものでしかない……ということですが。そらまあ原点はそうかもしれないけど、現代においてそれで通るなら誰もカバーにお金かけないし、表紙にイラスト入れないし、そもそも装丁の仕事の意味合いが半減しそうなんですが。

 最初の掲示板の引用にもある講談社のサイト「講談社BOOK倶楽部」のインタビュー『いま新書をどう装幀するか』によれば、

-------------------------------------------引用開始
 未来から発想する
――新書のひとつの特性として、長い間本棚に置かれるということがあります。だから、新しいデザインが何十年もつか、というのが勝負になりますね。
中島 ええ。ぼくは、デザインはモダンである必要があると思っています。歴史的に証明された正しいこと、正しいフォームをなぞるということに、ものすごく抵抗を感じる。そういうのは、「オールド」という価値観です。古臭い。たとえば、どんな車でも時間が経てば、オールドカーにはなれるわけですよね。でも、ヴィンテージカー、クラシックカーになれるものはごくわずかしかない。この差は何なのかというと、出現した時にモダンであったかどうかだと思います。
 だから、十年後、二十年後に、オールドではなく、クラシックに行ける可能性を探すことが大切です。未来から発想すると言いますか、どちらかというと建築に近い考え方ですね。時間に耐えられなければならない。
――つまり、その時点での、新しいスタンダードを模索するということですね。
中島 そうです。今、日本にはこれだけ数多くの新書のシリーズがあって、どれも兄弟のように似ているというのは、ちょっと気持ち悪い。
-------------------------------------------引用終わり

 当時までの新書同士の装丁が似てたかどうかは覚えてませんが、ここに書かれた考え方自体はそう間違ってもいないと思います。たとえばハヤカワの銀背とか、昔もモダンで中身が想像できないようなデザインの表紙はありました。ただまあその何年後も残るようなデザインとしては正直ショボい感じがするし──もっともデザインなんて人の好みなので、それはおいといて──その材質と印刷の保存性が大きく損なわれている以上、その考え方と矛盾してる点が笑えてしまいます。そこの品質まで落しちゃ駄目ですよね……。


 話変わりますが、二十年ほど前に伯母の家兼店舗を建てたとき、店は道路の東側にあり正面がガラス張りで西日が差すので、紫外線による褪色とか商品の劣化が激しいだろうと親父が対策を立てました。それがガラス面にコーティング剤を塗るというものでしたが、数年たって見事に床とか褪色しましたね。家の南側の窓に紫外線カットのフィルムも貼りましたが、数年でボロボロになりました。南の窓は日当たりはいいですが、紫外線も強いので注意が必要です。ガラスは紫外線をカットするといいますが、紫外線にも幅がありますしそれ以外のものも褪色に関係してるようなので注意は必要です。ガラス越しだから紫外線は大丈夫などという話、信用しちゃいけません。だったら紫外線カット商品なんて売れませんて。

 自室はなるだけカーテン締め切ってますが、やはり褪色は防げませんでした。蛍光灯は電球や日光に較べて紫外線は弱いですが、紫外線に弱いプラスチックや印刷だと実際一二年で褪色します。数年前に紫外線カット率の高い蛍光灯に変えましたが、日光も多少は入るのでどれだけ効いてるかは不明。まあこの一二年ほどで特に黄色くなった白いプラスチック製品はありませんので効果はあるかと思います。
 店舗の蛍光灯も美術館仕様のものに変えたのでマシになるだろうことを期待してますが、最近はLEDが紫外線を殆ど出さないと評判で姉の店は一部LED電球にしたりしてます。もっとも大きな窓があるので、それほど効くかどうか。窓には一応ブラインドつけてますが……

 ともあれ大切な本やトイを保管するひとは、外光の排除や、照明の紫外線対策を行いましょう。手っとり早く本棚等にカーテン付けた方がいいかもしれません。……いつのまにか話がコレクションネタになってますね……まあ気にしないひとも多いんでしょうが、これもコレクターの性分です。紫外線除去蛍光灯とか実買で価格差が倍もあるわけでもないし、次に変えるときは考慮に入れましょう。ぶっちゃけ丸形(環形)だと日立アプライアンス株式会社「きらりUV」シリーズしかありませんし、置いてる場所が少ないのがネックですが。

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コメント

 本棚の現代新書を見るに、2002年4月(一刷)は旧カヴァーで2004年1月(一刷)は新カヴァーでした。さびしかったのは、変更以前のも増刷かかると(?)新カヴァーになっちゃったことかしら。
 しかし外観よりも、軽い内容のが増えたようなのが気になりました。現代新書は老舗で──手持ちの最古は159『弁証法はどういう科学か』(一刷が1968年)でした──学者らの執筆が多かったのが、小説家など著名人による印象論的なフワッとしたのが出るようになったり……。

# わたしのベスト現代新書は、1587『傭兵の二千年史』だなー(所有17冊中)。無頼なランツクネヒト(ドイツ傭兵)、あこぎなフリードリッヒ大王(プロイセン)、スイス傭兵哀史などが書かれた。

投稿: 翡翠 | 2011/10/16 22:11

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