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説話拾遺

 これが実話であろうが創作であろうが、真実の一端を的確に表していることに違いないので、ここに記す。
 拾ったのは「2ちゃんねる実況中継」さんとこから。なんらかの原因で消えてもなんなので、今回はあちらの記事からコピー&ペースト。

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ある大学であった授業

474 水先案名無い人 sage 2007/06/21(木) 03:39:01 ID:gGU3P5gL0

ある大学でこんな授業があったという。 
「クイズの時間だ」教授はそう言って、大きな壺を取り出し教壇に置いた。
その壺に、彼は一つ一つ岩を詰めた。壺がいっぱいになるまで岩を詰めて、彼は学生に聞いた。
「この壺は満杯か?」教室中の学生が「はい」と答えた。
「本当に?」そう言いながら教授は、教壇の下からバケツいっぱいの砂利をとり出した。
そしてじゃりを壺の中に流し込み、壺を振りながら、岩と岩の間を砂利で埋めていく。
そしてもう一度聞いた。
「この壺は満杯か?」学生は答えられない。
一人の生徒が「多分違うだろう」と答えた。

教授は「そうだ」と笑い、今度は教壇の陰から砂の入ったバケツを取り出した。
それを岩と砂利の隙間に流し込んだ後、三度目の質問を投げかけた。
「この壺はこれでいっぱいになったか?」
 学生は声を揃えて、「いや」と答えた。
教授は水差しを取り出し、壺の縁までなみなみと注いだ。彼は学生に最後の質問を投げかける。
「僕が何を言いたいのかわかるだろうか」

一人の学生が手を挙げた。
「どんなにスケジュールが厳しい時でも、最大限の努力をすれば、
 いつでも予定を詰め込む事は可能だということです」
「それは違う」と教授は言った。

「重要なポイントはそこにはないんだよ。この例が私達に示してくれる真実は、
 大きな岩を先に入れないかぎり、それが入る余地は、その後二度とないという事なんだ」
君たちの人生にとって”大きな岩”とは何だろう、と教授は話し始める。
それは、仕事であったり、志であったり、愛する人であったり、家庭であったり・自分の夢であったり…。
ここで言う”大きな岩”とは、君たちにとって一番大事なものだ。
それを最初に壺の中に入れなさい。さもないと、君達はそれを永遠に失う事になる。
もし君達が小さな砂利や砂や、つまり自分にとって重要性の低いものから自分の壺を満たしていけば、
君達の人生は重要でない「何か」に満たされたものになるだろう。
そして大きな岩、つまり自分にとって一番大事なものに割く時間を失い、その結果それ自体失うだろう。

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 悪く言えば詭弁に過ぎない仮定はあまり頭の回転の速くない相手には効かないし(簡単に言えば小学生相手では真意が伝わりにくいだろう)、真実ではあるがその経緯も大事な場合は相手便りなたとえ話は当意即妙に答えられる相手がいたら効果は薄くなる(大学生ならもっと上手い受け答えをしたり、当意をはぐらかしたりツッコんだりする可能性がないとは思えないが……大学にもよるか)。

 だが、素直に聞いていればなるほどと思うし、要らぬ枝葉を考えなければ真実には違いない。いい話なんだけど、うちの甥っ子(小学六年、受験生)がこの話を聞いて未来の展望、今の自分の立ち位置に気付いてくれるくらいの中身があれば、苦労しないんだけどなぁ……。

 ……つーか、素直に読んで、なるほどと思った私が単純だなどとは思わないように(笑)
 私の行った大学では心理学でもなんでも、こんな内容を語る先生はおらんかったのう……。

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コメント

 おもしろい方便ですねぇ。素直な心の持ち主には、有効でしょうね。

 「人生の折り返し地点」を考えると、あたら時間を無駄にできないのは……分かってるんですけどね(笑)。

投稿: 翡翠 | 2007/07/05 22:52

 人間五十年、下天のうちにくらぶれば……おわ、もう十年しかねえっ。

 もはや無駄でしか人生を語れない、路傍の石のごとき人間であります。思索なんてもなぁ所詮刹那的で個人的な楽しみであって生きた意味なんてものに転化できるほどの経験も能力も何もなく、さりとてかみのよにはかなきこのからだ、ひとの為になるほどのことも行えず、ただ老いさらばえてうごかなくなるのみか──。

 他人にどう思われようがかまわないとうそぶいてきたが、いやまあ今でもそう思っているが、親もいなくなってひとりになったころに、甥や姪にどういう叔父さんと思われてるかは多少気になることもあるかなという、今日このごろですだ。

 ……とまあ戯れ言ですよ、ほんとに。

投稿: やずみ | 2007/07/08 01:22

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