« ね、ねこみみもーっど?! | トップページ | うぉおぉお!? »

日本人の夢見た平和、夢見た終末

 今年もこの季節、暑い夏の日、それぞれの戦争について考えさせられる時期がやってきました。
 無論戦後ずーっとあとに生まれた私には、直接的な思い出もなにもありません。それは平和な国にたゆとう者ならば致し方ないことではありますが、だからといって実感ないから戦争してもいいなんて思うことはありません。実際的に経験していない者がそう言えるのは、別段教えられたとおりのことを言う──ばかりではなく、実際に疑似体験できるかどうかにもよりけりです。そう、人間には想像力という自前の仮想現実能力があるはずです。それをどう活かすか、どう教えるか、どうとらえるかで平和が続けられるか否かが決まります。そういう能力が、実際に力を施行えきるひとびとに与えられていることを祈ります。ひとのいうことを聞かない、理由を考えない、結果を想像しない、そんなひとびとの結果に突き合わされるのは、まったくもって御免被ります。

 さて、そんな人の想像力のひとつの結実が物語、そして映画です。

 うちの地元の美術館では毎夏、併設しているホールにて親子を対象にした上映会をします。アニメ系(どちらかといえばアート系)が多いのですが、今年は今日明日と特撮映画大会が開催され、日に4本、計8本の上映が予定されています。まあ朝から晩まで観に行くというわけにもいかないので、午後のプログラムだけ観に行くことにして、早速今日の分を観てきました。
 今日は流石に休みに入ってるだけに子連れもおり、普段よりもたくさんで席が半分近く埋まってました。アート系よりもウケがいいですね(笑)。甥を連れて行ってやろうかと思ってましたけど結局乗らなかったので、子供にはウケが悪いと思ってただけに以外でした。よく内容みれば、やっぱ普通の親は連れて行かないのだろうなぁと思えますけどね。ちなみに今日のラインナップはといえば──

 Aプログラム 「宇宙人東京に現わる」 「大魔神怒る」
 Bプログラム 「ゴジラ」 「世界大戦争」

 ──ええと、チラシには親子で楽しめる怪獣映画や空想科学映画を8本上映しますとありますが──小学生でこのラインナップ、ほんとに楽しめるのかと不安になりませんか? 楽しめるオトナとしてはよくぞまあというラインナップですけど、幼児などに見せたらトラウマにならんかとも思えます。結構低学年くらいの子供もつれてきてたけど……実際「ゴジラ」のあとの休憩で、父親に感想聞かれた子供が「むずかしかった」って言ってましたし。ともあれ選者の大英断には拍手したいです。おかげで二十年ぶりで、このあたりの映画をスクリーンで見ることができました。

 「ゴジラ(無論昭和29年の第一作)」は無論ですが、今日の目玉は実は「世界大戦争」でした。二十年ちょい前、高校のころに今は無き地元東宝で徹夜で行われた数回の特撮映画大会において、ちょうど居眠りしててはっきり観てなかったのです。そんなわけで期待してましたが、期待に違わず素晴らしい映画でした。何がいいって、フランキー堺演ずる何のへんてつもない父親、その演技がいい。また戦前から寄り添う妻、年頃の娘と家に下宿していていつしか恋仲になった青年、そして平和の中に生まれ育った幼い子供たち、かつてどこにでもいたような日本の平和のなか精一杯頑張って生きていたひとびとが、いかに理不尽な世界の波に巻き込まれ引き裂かれていくかというシナリオの彩が実に素晴らしい。彼らの昭和中頃らしき誠実さとバイタリティとゆるやかな平和にあふれた暮らしぶりが、その裏で実際危ぶまれていた世界危機と丹念に対比されていきます。

 時代が時代だけに米ソは直接的には描かれず同盟側と連合側としてちょっとヘンな特撮系軍服に身を包み、ICBM系ブラックジョークによくあるスタンダードなネタなどで今となっては嘘くさく感じるステロタイプな人間的軍人が描かれますが、演出自体はけして古くさくなく緊迫感は徐々に高まり、まさかここでいきなり第三次世界大戦は始まらないだろう……と観客が思うとおり偶然が呼ぶ危機は現場で回避されていきます。軍人も日本の政治家も記者たちも、無論一般家庭にまで、実はこの作品ではいかにも間違いを犯しそうな人間は出てきません。事故によってICBMの起爆装置が入ったときも、一緒に閉じ込められた司令官が「観測している敵側に誤解され最終戦争のきっかけにならないよう」自ら起爆装置を外しに行く漢ぶり。連盟ミサイル基地司令は、ミサイル発射ボタンを押す人間の心の弱さを理解し気をつけろと訓示する一方、指令が機械で伝えられると、まさかと思いつつ命令どおりにミサイル発射プロセスを進行させ、発射に気付いたより上位の司令室からそんな命令は出ていないと言われてもなおも命令がなければ止められないと停止要請を認めず、機械の故障と判明しギリギリ止めたところで息を吐き部下と抱き合いホッとする。本来は人情味ある男でありながら命令が第一である軍人らしさは、アナクロなコンピュータのランプだけが示す命令内容とあいまって、非常に怖いものがあります。これが直接命のやりとりの場ならまだしも、機械に囲まれた部屋というだけにある意味軍人の特殊さが際立ちますね。

 80年代以降にはない、形式と身近な生活臭のある特撮映画としてのリアリズムではありますが、一般市民の日常と特異で緊張を強いるある意味最前線の軍人たちの中に残る日常が上手い具合に重なります。世界を滅ぼしたい者など誰もいない──終戦後16年の日本ならおそらく誰もが信じているその気持ち、それが市民のあずかり知らぬところで、結局裏切られていく様は、なんとも言えない哀しみに満ちています。それはフランキー堺の叫びにも、音を持たないモールス信号による恋人たちの最後の会話にも、市民に誠実であろうとする総理にもあります。ああこんな理想的な政治家、今やどこの映画にもおらんなぁ。

 そしてどこにでもいたはずのふつうの人々は、ある日唐突に、最終戦争の直前に放り込まれます。必死に逃げる人々の中、主人公の家族は結局家に残ることを選びます。娘の婚約した彼は航海士で、前日に船は日本を離れたばかり。船で情勢を知った彼は恋人に向けて無線を発します。これがまたモールス信号で、実際に声でやりとりできないあたりが、時代とはいえ凄い演出。「コウフクダツタネ」「タカノサン」「サエコ コウフクダッタネ」

 正直ここのあとそのまま水爆着弾でもアリなんでしょうが、ここでは終わりません。

 その後、荒れ果てた東京、そしてフランキー堺とその家族の最後の日が描かれます。最後の晩餐にとごちそうを作る妻。幼い妹と弟は無邪気に喜ぶが長女は恋人との別れもあってどうしても沈んだまま。明るくしようとするフランキー堺も結局最後に一人で二階に上り、空に向って憤りを叫ぶ。前半からみていたちょっと金もうけにしつこくガンコだけど子供を愛している普通の父親が、ぶつけられない相手に心の底からの言葉を絞り出す、名シーンです。とにかくこの映画、メインで顔を出す俳優それぞれみな素晴らしい演技ですが、フランキー堺は際立ってます。

 そうして最後のとき──ついに発射されたミサイルのひとつが東京を目指していることがミサイル防衛センターにて判明。およそ150秒後。しかし当時の技術力ではなすすべもなく、指令所の人々や総理が待つ中、オレンジの光点が東京上空へ到着し──今どきのCG合成のようにこと細かく爆散するわけでも蒸発していく様が見えるわけでもありません。しかしその迫力はかえってものすごい感情を生み出します。光と風の暴力が吹き荒れ、街を全てを破壊します。地方から富士山越しに猛烈な光の山が見えています。無論絵ですけど、いい構図というか普段見る景色との違和感がはっきり出ていて印象的です。赤く黒いキノコ雲がおどろおどろしくたち上り、溶岩状に溶けていく街に黒い雨が降り注ぎます。このあと世界各地の都市も同様に破壊されていくのですが、自国だからか東京の壊滅ぶりは丹念で徹底的です。そして収まったあとの静けさの中、溶岩が冷え固まったような、泥のような大地が見えます。全ては溶けてしまったのでした。溶岩状に溶けていく大地に呑み込まれていった国会議事堂の屋根部分だけが、おぼろげに固まった大地に人造的なものを浮かび上がらせ、東京という街の死を感じさせます。実はもっと前のところ、平和な時間に、娘と彼が甘い恋人気分を味わうデートシーンで、国会議事堂が背景に入ることがあります。ここでそこを思い出すだけに、爆発前から映らなくなるフランキー堺の一家の最後が、まったくないのに想像できます。

 このスペクタクル。今の技術からすればどうということはないのかもしれませんが、演出込みで、世界に劣らないスケールです。同時代にこれだけの映画は米にはなかったでしょう。なにせ原潜がヒーローである時代ですしね。「ザ・デイ・アフター」なんて何年遅れているか。唯一の被爆国、戦争放棄をうたう国らしい描き方だと思います。

 ただし転じてあからさまな平和讃歌が鼻につくというふうにも取れます。なにせあきらかに国家間の争いを解決するのは会話だという方針だけがあって、因果にたいしての言及はカットされてます。当時はそのあたりはあまり問題にならなかったのかもしれませんが、テーマから外れてしまう可能性から削除したと思われます。
 とにかく普段の台詞からなにからどうしてもそういう面が見え隠れするのは──今のペシミスティックな眼でみるからかもしれませんけど──多分日本以外のひとにはわかりにくく単純にも見えるでしょう。メッセージ性があからさますぎてクサいとも。最後壊滅した大地に被さるように、「この話は架空だが、そうならないともかぎらないものだ。そうならないために皆で考えよう」というような文句が被さるのが、決定打かもしれません。しかしこの映画のよさはやはり、

 そういった啓蒙的なものを除けば、実に日本映画に力があったときの、いささか直結ではあるけど反戦反核ものとして素晴らしいできでした。ほんと昭和30年代の映画っていいなぁ。

 検索したところ、こことかここの文章が同じようなところを書いていて同感でした。

 ところで、先の「ゴジラ」は普通のビスタサイズですが、「世界大戦争」は横長のいわゆるシネスコサイズです。それと磁気ステレオという聞き慣れない単語がポスターに書かれてます。一瞬なんのことかと思ったら、よく考えてみれば昔の映画は光学式音声録音なんですよ。8ミリ映画作ってたのにすっかり忘れてました(8ミリも後半は磁気録音ですけど、前半今のセルビデオのような販売があったころは光学式でした)。磁気録音は初期は別のテープにして映像フィルムと同期させなければならないので、結構大変だったそうです。その後フィルムの横に磁気を塗布できるようになり、そこを数チャンネルに分けてステレオも可能になったのでした。でまあ、このころから磁気録音でステレオ方式やってたわけですね。実際DVD版には4chとありますし、ホールでもかなりの迫力でした(音の移動とかはよくわからなかったけれど)。DVD欲しくなっちゃったなぁ。

 とりとめもなく長くなりましたが、今日はここまで。

|

« ね、ねこみみもーっど?! | トップページ | うぉおぉお!? »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 日本人の夢見た平和、夢見た終末:

« ね、ねこみみもーっど?! | トップページ | うぉおぉお!? »