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だれがMary Sueを……

 今となっては定かではないけれど、どこかのサイトをふらついてたとき「Mary Sue」という単語を見かけました。無論個人名ですが、文章内ではどうもそういう用法ではなかったので、はてどのような意味があるのかとググってみたところ、これがなかなか面白い。アメリカではオタク用語としては既に一般的だけど、まだ日本では知名度の低い言葉らしいので、ちょっと書いてみます。

 といってもすでに先達がたくさんいて、対して説明することはありません。詳しいところはココとかココで。
 要は二次創作において、作者の投影である独自キャラをご都合主義的なものにし、さらにご都合主義的な配置をし、ご都合主義的な活躍をさせて願望充足する、そういうキャラのこと。原作のキャラに混じるだけならともかく、そこで元キャラをさしおいて新たなヒーローになるというのは、つまりは原作キャラいらんだろ?とか、自分がヒーローになるのを人に見せたいだけじゃん?などと強烈なバッシングの対象になるらしいです。米のファンジンは割合自由になんでもやる反面(あまり見たくないコスプレとか)、批判も相当なもので(特に文字媒体で)日本だとスルーされるものもあっというまにつるし上げられるそうですし。
 で、日本語ローカライズ版Mary Sueテストなるものもあります。

 さてその前の最初のサイト、前者などはもう二年近く前の文章ですが、最近の他のサイトで使われているところを見ると誤用されてるところもあります。

 中で見つけたひとつは、二次創作でなく他人の(一応)オリジナル作品のキャラにもあてはめること。無論ご都合主義の物語というのはそれだけでしらけてしまう可能性が高いわけですが、物語ではそもそもご都合主義的なものを全て排除するわけにはいきません。面白い物語というのはガジェットか描き方か、いずれにしろ恣意的な演出なくしては成り立たないものです。あくまでご都合主義に見えない描き方があってこそ面白く読めるものでしょう。王子とお姫様の物語が面白いかつまらないかは、けして王子とお姫様が主役だから、ではないはずです。そこのところを忘れて、オリジナルだろうがパクリ(であっても二次でない)だろうが、すべての創作にこのMary Sueをあてはめると、正直9割9部の物語はアウトってことになるんじゃなかろうかと思いますね。特に神話ものから古典は全て。もっとも作者不詳の物語で作者の願望がどうのと証明するのは困難ですが。

 ある意味間違いではないけれど、そこをMary Sueに混同してしまうと多分に誤解が生じます。低レベルなキャラ造形とMary Sueとは=ではありません(多分、元来のものは)。

 あくまで二次創作でのキャラに限定して考えず、このテストで引っかかったもの全てをMary Sueモデルとして否定してしまうと、本来の主旨からズレてしまうことになりかねません。何故二次創作ではご都合主義的な活躍をする独自キャラが駄目なのか、そこを問題視し、その結果がMary Sueとなっていったはずです。あくまでオリジナルを尊重するのがそもそもの二次創作の基本でオリジナルを大きく逸脱する二次創作は邪道とする考え方に則って、そこで、オリジナルのキャラに大きな影響を与える立場に自己投影した独自キャラを割り当てるという危険性を継承するタームとなっていたのでは。
 つまりは二次創作を作る上での安易なキャラとシナリオ設定への戒めです。

 無論設定方法としては完全オリジナルでの創作にもあてはめられることです。安易なご都合主義に陥らないようにと。それは大事ですし、「二次創作で」というくくりを外せばオリジナルでもMary Sueキャラはいるでしょう。実際上記のリンク先のレポートによれば、米でもオリジナル創作物のキャラに対してMary Sueか否かという話題が出たくらいです。しかしオリジナル創作の場合、キャラ設定背景ともに物語を語る作者の自由です。そして物語にはなにかしら語るテーマがあります。で、そのテーマの為に特殊なキャラを作ろうとそこにある程度自己投影しようと、またはそれを主役にしようと、肝心なのはそのご都合主義がどこまでご都合主義に見えずに物語を楽しめるか、テーマを語る上で必要かどうかです。Mary Sueテストに惑わされてそこを見なければ、物語の本質を読まないことになります。……いやまあ確かに作者名と同じ名前の主人公が超人的活躍をするってだけで忌避反応が出るのもわからなくもないですが(すいません。未だに御手洗潔シリーズ読んだことありません)。

 しかしこれは作品レベルうんぬんの問題ではなく、あくまで読み方とらえ方の問題で、いわば読者の本質を忘れた批評家的ものの見方に陥りかねません。概要だけ見て、プロットがつまらないから駄目、キャラが平凡だから駄目、あそこが都合良すぎるから駄目、こんなことはどんな物語にでもつけようと思えばつけられます。確かにどれも駄目だったら面白くないけど、どこか凄くてそれだけで面白い作品もないとは言えませんし。

 どこにも特殊なものがない話で、正直まともに楽しめる作品はなかなかありません。逆にどこにも共感できるものがない話にもまず楽しめる作品はありません。文章の問題もあります。小説、特に創作小説ってのはある意味総合文学です(ジュヴナイルとか萌え小説とか文学じゃないという人もおりますが、あえて文字で構成されたもの全てを指して)。テーマのためならどんな手法どんな演出を使ってもいいと思います。イラストの力と二人三脚でできた世界もあるし、もしかしたら文字のサイズや字体で作られた世界もあるかもしれません。作者の何が力であろうと、作品の出来は、出来上がった作品とその評価で決まるものです。

 Mary Sueテストは創作時の戒めであって、鑑賞や批評前のプレ評価の為にあるのではないことを覚えておきましょう。Mary Sueと評するなら二次創作で世界観とそぐわない場合にしましょう(でなければオリジナル創作もので元である作者の人となりがいくらかわかっている場合か)。
 ご都合主義ぽいキャラだからと読まずにけなすのはほめられたことではありません。最低限、多少なりとも読んで、いかにもならば、Mary Sueだとけなすのがよろしい。──もっともご都合主義だからと他のよいところを捨てるのも、逆にいいことだけ見て瑣末なところは無視するのもマズイかもしれませんが、そこまで行くと個人の読み方の問題ですので否定はしません。

P.S. さて、タイトルの後ろに付くのはどれが無難でしょうね?
1.) 殺したか?
2.) けなしたか?
3.) さらったか?
4.) 笑ったか?
5.) 倒したか?
6.) 認めたか?

──それは自分……♪

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