「撓」
日本人生活ウン十年と何年か、未だに知らない言葉が山のようにある。
つーか、習ってたかもしれないけど忘れた字とかも結構。
別に国語を専門的に習ったわけではないし、日常でそれを使う仕事をしてるわけでもないのだが、やはりちょっと恥ずかしかったりするのは、日本人──現代日本語を話すという意味での──というプライドがあるのかないのか、いや実は単にあれだけ本読んでるくせ物知らないというのが引っ掛かってるのかも。
そんなわけで、時にある言葉について知らなかった事とそれに関して辞書を見て勝手に物事を発見──つまり、自分にとってはという意味だが──したことで嬉しい驚きを得ることが多々あって、それは結構本気で嬉しかったりするわけだが、興味ない人にとっては、どうでもいいことなんだろうなぁ。
ま、そんな些細なことでも、取り敢えず書いておくことにする。きっとこれを見た人の数パーセントは絶対知らなかったことだろうから、残る数十パーセントの人が「そんなことも知らないの?」と思われたとて、何を憚ることがあろうか、いやない!……に違いない。
というわけで、今回のお題は「撓る」である。
ある小説で出てきたのだが、恥ずかしながら私は最初読めませんでした。
文脈からして、ひねるだのそるだのという意味であろうと思ったが確信が持てない(ひねるという字は違う漢字だし)。こうなると、まず最初にするのは当然辞書。手へんで探してみることに。
するとですね、この字、訓読みだと「タワむ、タワめる」ってあります。まあ意味は分かりますが「撓る」という活用はない。マ行五段活用か下二段活用なわけで、送り仮名が「る」だけというのは無し。小説では数カ所使われてたので誤字でもあるまいし、さりとて他に読み仮名無しと、しばらく困りました。
実はうちには今漢和辞典がなくて、二冊の国語辞典で見ました。一つはじいちゃんが使ってたという、大正十四年初版昭和十六年新版の三省堂刊行「廣辭林」。古いだけに当然旧字体で、しかも大正や昭和初期に使われた言葉が基本という、今とはかなり違う内容もあったりするシロモノですが──ちょっと自慢──それだけにこんなJIS第二水準の漢字も詳細に載ってて便利だったりします。でも、これにも、最近の──といっても二十年前の学生時代に使ってた──旺文社国語辞典にも同じ「タワむ」の活用しかありませんでした。
ここでしばらく行き詰まり、本屋で漢和辞典でも見てきたろうかいと思ってたわけですが、救いは思いの外身近に。そう、インターネットにはフリーで使える辞典サイトがあるというではないですか。でインフォシークの辞書ページを選び、余所の会社でしかも最新だろうから一応検索してみました。無論「撓る」で。読めない字でも送り仮名付きで検索できるところは、紙の辞書より便利だな……と思ってたらあっさり出てびっくり。
お題の「撓る」は──「シナる」。そう、枝がしなるとか、板がしなるとか身体がしなるの「しなる」。
「タワむ」と同義語といってもいいでしょう。同じ字を使ってるのも納得。
だがしかし、それでは何故うちの辞書で漢字を調べたときに出てなかったのか?
とりあえず一件落着かと思いきや……なんとうちの国語辞典二つには「しなる」という言葉自体が無い!
一体何故? もしかして「しなる」って元は方言? などと考えましたが、ネットで見つけたのだからネットで調べようと、今度はまんま「しなる」と検索してみました。すると意味の他に一言、「しなう」の転。そう、「しなる」とは「しなう」が変化したものだったのです。見れば二十年前のにも六十年前のにも、しっかり「しなう」とありました──戦前のでは「しなふ」でしたが。
子供の頃も「しなる」って使ってたと思うけど、そのわりに二十年前のに「しなる」が無いってのが一番不思議ですね。まさかそんなに新しい言葉とは知りませんでした。転用にしろ何時頃から使ってたか不明ですが、ひまを見つけて古い小説などで検索してみるのも手かも。
ともあれ「撓」は今だと「しなる」か「たわむ」で使われる漢字ということで、「しなる」という言葉は本来「しなう」だった、と覚えておくことにしましょう──ってことは、戦前戦中戦後すぐのころが舞台の小説で「しなる」って言葉は使っちゃ駄目ってことか?
ついでに。探してたときに「しなる」の代わりに見つけた「しなれる」という言葉、これは「死なれる」じゃ無論なくて、「為慣れる」、つまりやっていくうちに慣れるという意味で、文語では「しなる」と書くそうな。「撓む─たわむ」なども、詩歌に使われてるそうで、やはり古い言葉のようです。今じゃ漢字で書くひともそういないでしょうね。
今回の勉強はこれでしゅうりょー。
教訓。辞書とパソコンは新しいのを持て。でも、比較用に古いのもあると、変化が分かって面白い。
| 固定リンク
この記事へのコメントは終了しました。
コメント